東京地方裁判所 昭和24年(ワ)2073号 判決
原告 陳善格
被告 富士火災海上保険株式会社
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は被告は、原告に対し金九十四万五千円及之に対する昭和二十四年五月二十七日以降其の完済迄年六分の割合による金員の支拂を爲せ。訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、其の請求原因として、原告は昭和二十三年五月二十五日被告会社の臨時勧誘員爲谷倉造の代理人たる訴外鳥山正雄に対し、原告所有の東京都港区芝新橋四丁目十六番地木造瓦葺二階建家屋一棟建坪二十坪、二階二十坪及右家屋内動産を目的とし保險金額金百万円、保險料金一ケ年金三万円、保險期間昭和二十三年五月二十五日午後四時から昭和二十四年五月二十五日午後四時迄、の火災保險契約の申込を爲して其の承諾を得、同日保險料金三万円を同人に支拂つた。然るに昭和二十三年十月二十三日午後十一時頃近隣から出火して延燒の厄に遇ひ、右保險の目的物は殆ど全部燒失した。原告は右家屋で旅館業を経営していた爲、高價の営業用動産が多数あつたので、その損害額は金三百万円に達した。之よりさき同年七月中原告は本件保險の目的に付訴外日産火災保險株式会社との間にも保險金百万円の保險契約を締結していたので、保險協会の査定を受けた結果残存物件を評價し、結局九割四分五厘の損害と認定され、同年十一月中旬同訴外会社から金九十四万五千円の保險金の支拂を受けた。
仍て原告は茲に被告に対し、保險金百万円に対する右査定の割合による金九十四万五千円及之に対する訴状送達の翌日たる昭和二十四年五月二十七日以降商法所定の年六分の割合の損害金の支拂を求むる爲に本訴に及ぶと陳述し、仮に爲谷倉造及鳥山正雄に保險契約締結の権限がなかつたとしても、原告は被告会社の作成に係り、その社印を押捺してある保險料領收証と引替に保險料の支拂を爲したものであつて、斯様な場合果して勧誘員に正当な権限があるかどうかを会社に就き調査することは難きを責むるもので原告に於て爲谷が右権限を有するものと信ずるに付正当の事由あるものと謂はなければならない。尚原告が本件保險に付受領した保險証券に代るべき保險契約書は爲谷の僞造に係るものであることは認めるけれども、保券証券は單なる証拠証券に過ぎないから之が爲保險契約の成立したことの妨げとなるものではないと附陳した。<立証省略>
被告訴訟代理人は主文第一、二項同旨の判決を求め、其の答弁として、原告主張の日時其の主張の火災保險契約の締結されたことは否認する。其の他の事実は知らない。
即、昭和二十三年五月初旬頃嘗て被告会社の社員であつた訴外爲谷倉造が被告会社の城南支部長橋本兼太郎に対し保險の勧誘をしたいと申出たので、橋本は爲谷に勧誘のみを爲させることとし特にマーケツト及其の周辺地区は被告会社に於て保險契約の禁止区域に指定している旨を告げておいたにも拘らず、爲谷は原告から、右禁止区域にある本件物件に付保險契約の申込を受け、其の保險料として金三万円を受領した上擅に之を費消し、保險契約書を僞造して原告に交付したものであるが、昭和二十三年八月五、六日頃訴外鳥山正雄が原告の代理人として橋本に対し、原被告間の保險契約が成立しているかどうかを訊したので、調査の結果、右の事実が判明し保險契約の成立していないこと及本件物件が保險契約の禁止区域内に在ることを答へ、其の後原告に対し原告から受領した保險料金三万円を支拂うから、保險料領收証を返還されたいと交渉したが、原告は保險料の三倍の金員の支拂を要求して之に應じなかつたものである。
叙上の様に爲谷は保險契約締結の権利を有しないので、原告との間に保險契約は成立するに由なく、右契約の成立したことを前提とする原告の本訴請求は失当であると陳述した。<立証省略>
三、理 由
証人爲谷倉造、鳥山正雄及橋本兼太郎の各証言を綜合すれば訴外爲谷倉造は昭和二十三年五月頃被告会社の城南支部長橋本兼太郎に対し被告の爲保險の勧誘をしたいと申出たので、橋本は同人が嘗て被告の外務社員であつたこともあるので、正式社員又は代理店としない儘保險の勧誘のみを爲させることとし、保險料を受領するに付ても社員の指示を受けさせることとしていたこと、一方原告は日動火災保險株式会社の代理店であつた訴外鳥山正雄に対し本件物件に付火災保險の申込を爲したが、右物件の所在地が同会社により保險契約禁止区域と指定されていた爲契約ができなかつた所から、鳥山は爲谷に此の趣を告げ爲谷から被告会社の保險料領收証用紙の交付を受け、此の一通に所要事項を記入し之と引換に原告から保險金百万円の保險料金三万円を受領し、手数料として金三千六百円を控除した残額金二万六千四百円を爲谷に渡したが、爲谷は此の事を被告会社に報告せず擅に其の頃着服横領し、自ら保險契約書を僞造して原告に交付した事実(右僞造の事実は当事者間に爭ない)を認めることができる。証人鳥山正雄及爲谷倉造の証言中右認定に反する部分は当裁判所之を措信しない。
叙上の如く爲谷は被告会社を代理して保險契約を締結する権限を有しなかつたものであるから、爲谷の代理人たる鳥山が右権限を有する理なく、両名に此の権限あることを前提とする原告の請求は失当たるを免れない。
原告は、仮に爲谷又は鳥山に斯様な権限がなかつたとしても、保險契約の申込者は勧誘員又は其の友人知己を通じ、本件と同様な領收証と引換に保險料を領收し、之と同時に契約の成立するのが通常の事例であつて、斯る場合申込者が本社に就き果して該勧誘員に正当な権限あるかどうかを確認して契約をすることはあり得ない所であり、從つて被告会社の領收証を持参した者に右権限を有するものと信じたのは正当の事由あるものであると主張するので此の点に付判断する。
爲谷が被告主張の様に限定された権限のみを有する勧誘員であることを原告に於て知らなかつた事は弁論の全趣旨に徴し明かであるけれども、凡そ保險の勧誘員は一般に保險申込の勧誘をする権限を有するに止り、会社を代理して保險契約申込の意思表示に対し、之を承諾する権限迄も有するものではないと謂はなければならない。蓋し勧誘員は手数料として第一回保險料に対する一定比率による金員を会社から支給されるところから收入の多からんことを希求するの余り、必ずしも会社の営業方針に忠実であることを期待し難く、之に一任するときは本來保險契約を締結すべきものでない物件に付ても往々保險の申込を承諾する等の事もあるので、会社に於て勧誘員の勧誘した保險契約の申込を檢討するの余地を残しておかなければならないからである。とすれば原告が其の主張の様な保險料領收証と引換に本件保險料の支拂を爲したことは当事者間に爭のない所であるが、右事実の存することのみでは原告に於て爲谷又は鳥山に原告主張の権限ありと信ずるに付過失の責を免れず結局正当の事由あるものと謂ふことは出來ない。
尤も右事実によれば、被告に対する保險料支拂の効果を生じたことは論なきところであるけれども、保險料の支拂は保險申込の確実なことを担保するためになされるものであつて、之に対し会社に於て何等か承諾の意思表示ない限り、保險料支拂の一事を以て直に契約成立するものでないことは前段説示の理由により明かである。
而して原告の右申込は被告に於て全く関知せず爲谷が擅に保險契約書を僞造して原告に交付したものに係り、被告から原告に対し何等承諾の意思表示のなかつたことは前段認定の通りであるから、原被告間には保險契約成立するに由なきものと断ぜざるを得ない。
尚原告は本件以前にも二回に亘り、其の所有建物及動産に付保險会社に対し保險の申込を爲し、本件と同様保險料の支拂をした丈であるが、其の後何れも火災に罹り保險金の支拂を受けたことが原告本人の供述により明かであるけれども、右は原告に於て保險料支拂後保險会社から正規の保險契約書の送付を受け、之により会社の承諾あつたこと(承諾する場合、保險期間の始期を第一回保險料受領の時に遡らせることは公知の事実であるが、保險料の支拂により契約成立するものでないことは前説示の通りである。)弁論の全趣旨により明かであるので、右事実は前認定を妨ぐるものではない。
叙上の如く原被告間に保險契約の成立したことを前提として、保險金の支拂を求むる原告の本訴請求は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担に付民事訴訟法第八十九條を適用し、主文の通り判決する。
(裁判官 岡部行男)